嘆記
ダメ人間の日記
no title
もし、もし私が健常者で、自分の子供がいたら。という妄想。


テレビのチャンネルはリモコンで変えるのよって、コンセントにはプラグを差すのよって、これは電池で動くのよって、レジでお金を払うのよって、そんなこと、そんなことばっかり教えなきゃいけないかと思うと、絶望した。


狩りの仕方とか、木の実の取り方とか、食べられるキノコの見分け方とか、馬の世話とか、野菜の育て方とか、繕いものの仕方とか、教えられるなら、どんなにいいだろうか。子供だってその方が自尊心を持てるだろうに。親だって子供を尊重しようと思えるだろうに。


人の役に立つことで自信が持てるか。


昔はよかったとか、生きる力とか、そんな話は大嫌いで、どちらかといえば都市が好きだったはずなのにな。


教師って。まず子供にやらせて、観察して、評価して。できるかできないかレッテル貼りして、出来ない子をやる気がないんだとかいって責めて。

それでいったい何を教えたり育てたりしてる気でいるの。

教科書の内容読んで、読ませて、黒板に写して、テストして。

なんでそんな自分の人格に自信があるの?世間を代表してる気でいるの?人生を教えられると思っているの?



子供を小さな大人として扱う。昔やっていた、それって、ダメだったのかなあ。失敗したのかなあ…。


昔の人は戦争とか酷いことやってたしなあ。今もやってるとこあるか



人と人との絆が股間と股間の絆なら、股間と股間が繋がることで民族や国境が越えられないかしら。

皇室の連中を嫁がせ…そゆことすると余計戦争になるんだった


スポーツは健全すぎるし 股間と股間をぶつけ合うものだからね、やっぱり二次元やアイドルがいいんじゃないかしら みんなオタクになればハッピー

イスラムみたくエロが抑圧されてるとこは厳しいんだろうね…

なんだか最初に言ってたことと矛盾してしまったなあ




雪が降ってるので現実逃避しています 積もるだろうし 夜には路面が凍結するだろうし 戦争です
わたしはカバになりたい
あ~なんでえ~すき~になっちゃったの~かなあ~。


それは死ぬのがこわいからです。

100均でよく流れてた。あっこのダイソービンボー人が好みそうな歌しか流さない。

絆がどーの感謝がどーの身内ソング。


なぜビンボー人が絆にこだわるか。それは絆がこわれてしまえば一家が路頭に迷うからである。
家族を養うという生きがいが失われるからである。

なんで理想と違う人を好きになったかというとそれは誰でもいいから男を獲得・所有しなければ彼女は共同体の中で女性としての存在価値を失い居場所を失くしやがて死に至るからである。

そんな若い女性の純粋な恋心=死の恐怖をポップでキュートに歌いあげる西野カナは天才である。


私って少し変わり者なのね。

あなたしかいない。


こんな淋しい歌ってあるか。


ウエディングとエンディングって似ている。




このごろはやってるのはドラゴンナイトっていうの。

あれはお金持ちの歌っぽい。

スマホユーチューブラインフェースブックサッカーワインバーベキューホームパーティー赤ちゃん海外旅行結婚式って感じ

これが世界の終わりか

お金持ちには死の恐怖ってないのかしら。

だったらなりたい金持ちに。




なんかね、あったかい泥の中に浸かりたい。

前世カバかも。

お金持ちよりカバのほうがいい。

でもカバも大変かも。体重いだろうし。泥もあったかくなくてつめたいかも。何食べればいいんだろう。

水の中にいる魚とか鳥はすました感じでいけ好かん。金持ちみたい。


何にせよ人間よりはマシであろう。人格を否定されずにすむからね。来世カバになるにはどうしたらよいのか。どのスピリチュアル本にものってません。






結局私はずっと「自分の心の貧しさ」に苦しんできたように思います。

ボランティアをやれば豊かになる、農業をやれば豊かになる、感謝の心、利他心、つながり、「いまここ」

そんな言葉が、うつろに響いてしまう、心の貧しさ


それは死ななきゃ(死んでも?)克服できないということを、ずっと感じてきたように思います。

本当に心の貧しい親に育てられたからです。親もまたその親に貧しい心で育てられたのです。貧しさが遺伝子にも刻まれているのです。

自分の感受性くらいなんて詩もあるけれど。

難しいことです。

本当の貧しさというものは、本当に恐ろしいものです。


助けてと救いを求める神もなし


親がダメだった場合、外に、あるいは内に、「親代わりの人物」を求め得られた人は、社会に適応・成功してるみたいです。

私は親的なもの管理的なものに対してアレルギーになってしまってるみたいです。

だからといって自立して生きて行ける才覚もなかったです。

幼稚な病です。


だから「自己管理」すら嫌でたまらなくって、きちんと暮らせないのかな。


すべての善きものから見放されていると感じます。

出家とかすれば娑婆への未練を断ち切れるのかなあ・・・。


やっぱり「今やってることに集中する」ってことが、少しは救いになるのかもね・・・

くだらないことでも、役に立たないことでも・・・

そう思うんだ・・・


国語の教師に「人の役に立つことで自分に自信を持てると思うの」とか説教されたことあるんだけどさ。

どうしても、やだなって、嫌な感じするなって。

思っちゃう、自己嫌悪、罪悪感。

けど嫌なもんは嫌だもの。

しょうがないよね・・・



森の中に小屋立てて塀で囲って暮らしたくなっちゃうなあ・・・

失敗したり恥かいたり怒られたり、

迷惑かけたり、嫌われたり、軽蔑されたり、ふくみ笑いされたり、

ビリになるのわかってて競争に参加させられて参加賞もらったり、

人の役に立つことをしてありがとうって言われたり褒めてもらうためにがんばったり、

自分を変えなきゃ!とか言われたり

説教されたり、

まうんてぃーんぐされるの、


もう嫌だよ・・・。
さとり
もう人並みの幸せは望めないのでさとりをひらきたいなと都合よく思ったのだけど。


まあ、無理だね。


ブッダじゃないんだから。


レクイエムなんか聴いて。

なくしたものを悼みたいのかも。人生と、自分の生命とを。でもいくら悼んでも足りない。

死ななきゃ安寧は訪れない。

スピリチュアルの本によると、死ねば目覚めてない人でもワンネスに帰れるんだって。

でも解脱してないとカルマがアレして輪廻転生が起こって苦しみが永遠に続くんだって。

さとりをひらけたら、きっと親の介護も喜んでやってあげたいと思うようになるでしょ。

しかし厳しい修行には耐えられん。

毎日ザゼンやってるはずの僧侶にもろくでもないのがおりますし。

赤ちゃんみたいなポチャポチャした顔と体つきして、「釈尊の入滅の時に多くの人が集まったのです。だから死ぬときに多くの人が集まってくれるような人生が一番良い人生です」などとぬかすですよ。

そりゃそうかもしれないけど。

「ボクチンのパパはえらいんでしゅ!」って胸はってる幼児みたいだなあと思って・・・・・・

葬式屋らしい意見でもあるけど・・・・・・人が少ない葬儀のときこのホトケは価値ない人生だったとか思っとるんかと




選ばれた人しかさとられないですよ。


私はいつも選ばれないほう。できないほう。ダメなほう。悪いほう。持てないほう。そして醜いほう。みっともないほう。恥ずかしいほう。


よく昔話にあるでしょ。2人の人物がいて、善人は幸せになり悪人は罰を受けましたってやつ。したきりすずめとかこぶとりじいさんとかさ。

私は悪いほう。罰せられるほう。

善と正義の集団から無視され疎外され拒絶され、時に糾弾を受ける。

いつもそう。

何かに情熱を持って取り組んだり、才能を発揮したり、人に親切にしたり、善く生きてる人を見ると、疎外感を感じます。

世界は二つに分かれているから。

私は絶対そっちには行けないから。

私は自然にしてるといつも悪いと言われました。親とか教師に。悪い子だったんだと思います。

私にとって善とは、私のことを嫌い人格を否定し攻撃してくる人物が強要してくるものでした。

「あなたのために言ってあげてるんですよ!」



だからやっぱり自殺するしかないんだけどもたとえ自殺してもカルマがアレして輪廻がソレしたら苦しみが永遠に続くんだって。


はあ・・・。


救いなんて無いんだね。


死語の世界なんて夢物語だけど永遠の苦しみっていうのはなんだかリアルだね。



・・・どんだけ私はザゼンをやりたくないんだろうね。

呼吸法でも瞑想でも、ちゃんと続ければ効果あるだろうに・・・。






年始のセールに行きました。見てるときは楽しいけど後から寝る前とかにその自分を思い出すと貧乏のくせにモノを欲しがる浅ましい姿が恥ずかしくなります。

マグカップとお皿を「ご自宅用」に包んでもらって。

「モノを買ってもひとり」


暗くなった町を原付で帰りますでしょ。

高速道路にパチンコ屋に大きな団地のピカピカ明かり。大きな家や小さな家のオレンジの窓あかり。

こんなにたくさんあるのに私が帰れる明かりはどこにもないんだなって。

自業自得。


悲しいこと考えると自業自得とか自己責任って言われるから(脳内の人に)二重につらいね。

いくら思考が現実化するからポジティブになれといわれても、この根本的な自己不信と他者不信と社会不信と世間不信と世界不信をなおすのはむずかしく思います。




今年は悪いことをするのはやめよう。

ネガティブなこと、自分の心を傷つけるようなこと考えるのも、悪いことなんだって。禅の教え。



考えちゃダメ。考えちゃダメだ。こんな日々について。いままで無駄にしてきた人生について。考えてはダメだ。ダメになった人生について考えてはダメだ。自分の運命について。取り返しのつかないことについて考えたらダメだ。考えたら死にたくなる。どうせ死んでも救いはない。


何も行動をせず考えてばかりいる自分が、ダサい、イタイ、使えない、恥ずかしいなあと思います。自分のことばかり考えている自分が恥ずかしい。





時間だけはある。今年1年だけ、来月1ヶ月だけを考えても、かなりある。それを今まで全て無駄にしてきたんだ。親がボケるまで、まだある。

有効に使えれば、何かができるかもしれない・・・ 脳がほとんど死んでても・・・ 何か一つに集中すれば・・・

それができずに今までダメだったんだけど・・・

ネットやめても、依存体質がなおせなくて、本の世界とかに逃げてしまう・・・


味の濃いお菓子ばかり食べてたせいか、ごはんのおいしさがわかんなくなってしまったよ。自分で作ったカレーがおいしくないよ。

味の薄い日々を送れたら、生きることが楽しく思えるようになるのかな 娯楽なし・グルメなし・ひたすら座禅みたいな

コミュニケーションなしは実現してるけど


お金も大事にしなきゃ。この「お金を失くす」って悪癖、何なんだろう。悪癖が多すぎる・・・・・・。悪癖がなおせないという悪癖・・・。



やっぱりブログを書くと、「ダメな自分をそのまま受け入れよう、許してやろう」という気になれるみたいで、自己愛が少し満たされます。

それでさらにダメになっちゃうかもしんないけど・・・

どんだけ自分を嫌っても、なりたい自分になれなかったもの


混乱が整理される気もする。悩み癖や自己憐憫にもなっちゃうけど・・・





たとえ永遠の苦しみのなかにいるとしても、今はあったかいふとんで眠っていたい。

アラームをセットして、起きられなくて遅刻して2時間説教される恐怖を抱え、何度もアラームを確認し、明日の仕事のためと思って義務として眠る。もうダメになった人生を抱えて眠る。

今日もたくさん嫌なこと我慢した。昨日と同じだった。明日も同じ。きっと来週も来年も同じ。ストレス解消のために食べて眠る。早く寝なきゃと焦って眠る。好きなことをしたいのを我慢して寝る。

休みの日すら緊張が抜けない。有意義に過ごさなきゃって。思って。何もしないで寝てる。

ふくふくと安心して眠れる日は、もうやって来ないのか。死ぬまで。



本当に不眠症で眠れない人や、重労働で帰ってすぐ倒れちゃう人と比べたら、恵まれてるけど。




親が老いて死ぬ。アルツハイマーになる。家から一歩も出られなかった私には、人生で自分のものを何も得られなかった私には・・・受け入れがたい現実です。

ちゃんとまともな人生を歩んでる大人になれた人なら、まともな人生のまともな現実の一環として、受け入れられるんだろうけど・・・

まだ子供のつもりなのに、もうすぐ30歳で、親が老人になって、死ぬ。

このグロテスクな現実。グロテスクな自分。




死ねばワンネスで善悪の区別ないのが真理なら人殺してもいいのかなあ。

もうイスラエル国家聴きながら水爆実験の映像見るのが趣味とかいえないね。いつも言えないけど。

日本で911みたいのが起こってもおかしくないのか。

地震も来るだろうし。富士山噴火するかもしんないし。


平和な日々はありがたいんだね。

そして全部が終わって楽になるという希望もあるんだね・・・。



苦しむのはいやだねえ・・・・・・。

らくになりたいね・・・。



きっとあの世にはすべての幸福があるんだね。

この世にないってことはあの世にあるってことだね。

無限の富と愛と幸福と平等があるんだよ。


女性、母親

生理ってつくづく嫌だね。もう慣れたとはいえ。生理痛もないほうだけど。

汚い股から臭い血垂れ流して、それをナプキンなんていうオムツみたいなもので漏れないようにして社会生活を送るってみじめ感・・・。

きれいなキャリアウーマンみたいな人ならなおさらじゃない?

だから昔の女性はコントロールできたとかなんとかそんな話が出たんじゃないか。あれ嘘でしょ。昔の人は食べ物少ないから血も少なかったんじゃね。



自然を擬人化したらそいつはフェミニストではない。女は産む機械と思っている。産む意志のない人にも毎月生理が来る。10才の少女にもう妊娠出産を迫る。強姦でも妊娠する。

災害を起こすからヒューマニストでもないね。あと人間からの被害者でもあるね。


まともな29歳なら自分の出産能力を考えるでしょうね。私は人間でも女性でもないようなものだけど、よく虫を殺す夢は見ます。虫の夢は妊娠をあらわすそうですから、無意識化では考えているのでしょう。

母が私を産んだ年の頃だ。

もうすぐ還暦(!)の母はもう閉経したのだろうか。そんなこと聞けない仲です。

子供が手を離れてようやく自分の好きなことができるようになった、などと(またそんな本に書いてありそうな皆が言いそうなこと・・・)言って、
アーティストの誰々が好きとか、お笑いの誰それが好きとか、男のことばかりです。

昔は息子の先生のこととか、パート先の高校生のこととか、はては薬屋のオネエ系のおじさんにいたるまで、そしてなにより息子のことを、うれしそうに話していたものだけど

母は合理主義者というか現実主義者というか規範意識が強いというのか・・・

テレビや本から「世間様の言葉」をそのまま流用して自分に都合の良い経済的合理性にもとづききれいに分別された死の世界を生きているというかなんというか・・・

もう自分でも何を言ってるのかよくわからないが・・・

私が夜眠れないでいると、「夜は寝なきゃダメでしょ!」って言ってくる いくら眠れないっていっても

母は「夜は寝なきゃダメ」と思えば眠れるし、お腹が空けば「フラフラして動けない」し、悲しいことがあると「食べれなくなっちゃう」し、もしかして妊娠したと思い込めばお腹が膨らんでくる人なのかもしれません

機械のように冷たく機械のように優しくて・・・

そんな母の中で温かく息づいているのは「男が好き」って部分だけで・・・

母にとっては美しいものも、面白いものも、愛や優しささえも・・・この世の善きもの全てが、男性を通じて得られるもので・・・

つまり「「男性」おたく」

唯一谷山浩子好きは共通なんだけど、母が好きなのは「仇」っていう・・・ ハーレクインロマンスな歌詞の曲なんだよなあ

本棚の開かれない印象派全集も、玄関に飾ってある昔習ってたというクロスステッチも、やろうやろうといいつつたいていやってない編み物も、いつも同じものを植えてある園芸も、着付けの先生になりたかったとかいう着物も、母の心を慰めはしなかった、もしかしたら余計に虚しくさえしたのかもしれない

「娘」を愛することなど、初めから構造的に不可能だったのではないか

まるで心のこもってない母の作品たち。あのうちのひとつがこの私。

「嫌な心」はさんざん込められたけど・・・ ・・・そのために生まれてこさせられたようなものか・・・


母にとって男性は一番でも中心でもなくて、宇宙の全てなのではないかと思います

でも・・・。健常な女性は恋愛に従属するものだ。結婚しても出産しても子育てしても閉経しても、それは変わらないのが、普通のなのかもしれない

じゃあ娘は愛されないのが普通なのか

愛されないから男を好きになってしまうのか

そうやって人類は子孫を増やしてきたのか



きっとかなり偏った見方だし


恋愛経験のない私にはきっと何も言う資格がないんだけど

子供には、青二才には、何も言う資格がない



私はこうやって批判や分析をすることで分離感や優越感を感じたいのだろう・・・


愛とかほんとはいまいちよくわかってないっぽい


いや、ぜんぜんわかってないね



「ワタシタチ、どうしようもなく男好きの女どうしよね、ウフフ。母なったいまならわかるわ、母さんの苦労が」って感じで、成熟した女の悲哀みたいな?でもタクマシク笑って生きてますって感じで、和解が成立するっていうのが鉄板パターンなんでしょ


正直、嫌だ。そういう世界の人たちが嫌だし、嫌だと思ってしまう自分も嫌だ。





よく祖母(母方の)が障害児の弟のことで母に、「二人でやめておけばよかったのに」なんて言って、母が「やめてよそういうこと言うの」って返してたけど、

祖母も、母の弟が弟じゃなくて妹だったなら、同じことをしたのではないかと思います

「計画なんてしなかった」とかいってたけど、そんなことってある?いくら当時は景気がよかったとはいえ・・・ いくら父が馬鹿の亭主関白で母が逆らえない妻でも・・・

夫が期待外れの男だったから、他に自分の男を手に入れたかったけど、離婚や不倫をする気概もないから、自分で産むしかない・・・と

(思ったとしてたぶん「無意識的」。都合の悪い自分の中身は「無い」ことにできる。なぜ子供を産んだかときいたら「赤ちゃんがかわいいからよ」ときたもんだ。ペット捨てる人みたい)


おそろしいなあ また女だったらどうするんだ とんでもないギャンブルだ まさか4人目とかいうか だいたい生まれたとして屑の夫の血を継いだ息子だよ それがあの結果


何の根拠もない憶測だけども・・・・・・


私は最初の子だったから、まだ喜ばれただろうけど(世間様への、祖母への貢物とはいえ)

妹はまた女の子で多少はがっかりされたのかもしれない

私は泣いてばっかで手のかかる赤子でベランダから落としてやりたいと思ったけど妹は泣かず食べない病弱な子で心配したそうな

かしこい妹は、「子育てに慣れて、テヌキを覚えることができた」母を、早々に見限ったのではないか

病弱なのは、気を引く手段。生存戦略だったのではないか



おろかでじょうぶな姉はあきらめるのに30年ちかくかかりましたよ・・・・・・・・・



生き汚いばかりに対人恐怖症になり死の危険を招く愚姉(高齢フリーター)。

生きるためなら自ら死にも近づく賢妹(忙しい正社員)。


どっちもまあ世間並みに比べたら全くいけてない女だけど。


母が趣味(男)を見つけるきっかけを作ったのも、妹なんだよなあ。スマホとアイパッド持たしてやったんだって(たぶん男のためじゃなかったら操作覚えなかったんじゃないか)

つくづく私は自分が甘えることしか考えてない無能だね・・・。





よく「男女の友情は成立するか」って話、あるじゃない

「セフレ」を友情に入れないとすれば、成立しないのではないかと思う

友情の条件って、「恋バナ」で盛り上がれるかどうかじゃない?

男の場合は「オンナの話」か。

だから、自身の性的魅力に自信を持てるリア充たちは仲良くなりやすい。

2次元やアイドルも恋の一種だからオタクも仲良くなりやすい。

同じ趣味でも、ラーメン好きだとか、本好きだとか、動物好きとかなら、「仲間」。

同じ目的や共通の敵を持つ者なら「同志」。

女性とオカマの友情は成立するか。

つまり本質的には敵同士というのがミソ。

ママ友っていうのはうさんくさいけど(「恋」でつながりにくいから)、幸福を競い合うライバル同士という意味では友情が成立しやすいのかなあ・・・


とにかく私はその敵同士という緊張感がおそろしいし恋バナが恥ずかしくてできないのでお友達ができない。

基本的な会話のキャッチボールができないとか話題がないとか心を開けないとか性格が悪いとか魅力がないとか空気読めないのももちろんあるが・・・。

そんな2次元好きのマザコンナルシスト(29)・・・ このごろは2次元も見ていない・・・

母とも友達にはなれない。



比べない。まともな人と比べない。比べちゃいけない死にたくなるから。


むかしお笑いの「スピードワゴン」がおもしろいと言ったら、母に「どっちが好きなの!?」と聞かれて困惑したが、
今は「性格が正反対のコンビが面白い」とか言ってるので、やっと関係性萌えがわかるようになったのかもしれません・・・

いっぽう私はすっかりナルシストのダメ人間に退行・・・

永遠の反抗期(思春期じゃなくて幼児期のほう)・・・

どうしてこうなった・・・・・・

腐女子になれたら友達できたかなあ・・・・・・





人と人との絆って言うのは股間と股間の絆なんだね。

まあ卑猥。

テレビや新聞でよく連呼できるよね・・・ 絆絆ってさ・・・ 褌って字と似てなくも 襦袢っていうのもあるじゃない

アットホームで中高年女性の多い職場だと股間をオープンにして恋人を手引きしてもらったりまでしないと馴染めない(体験談。
うまく距離を置けたらよかったんだろうけど優柔不断の中途半端で迷惑かけた・・・)(そしてきれいな女性は結婚や出産でさっさと辞める法則)

男性社会だと先輩にフーゾク連れてってもらったりするんでしょ・・・。


恥ずかしがりは生きる資格がない。




・・・そういや私の最初で最後のデートって、全く好きじゃないバイト先の老人(やたらホテルホテルってアピールしてた)だ・・・



・・・死にたくなってきたな・・・
家族、一人暮らし
春に部屋の更新があるけど、更新せず実家に帰るか迷っています。

元日に実家に行って、夕方6時ぐらいに行って夜11時ぐらいまでいたら、そろそろ帰れサインをいろいろ出されちゃいました。

寂しいですね。

帰ってこようかなって言ったら、「そしたら老いた親の面倒を見なきゃいけないんだよ。なるべく迷惑かけないようにしようと思ってはいるけれど。離れて暮らしてても面倒見てもらうけどね」と言われました。

これまで会うたび会うたび、「ボケちゃったらごめんねえ」って、にやにや笑いながら、遠まわしに「老後見ろよ~」って、しつこく言ってきてたんだけど、とうとうはっきり言われました。

私は、経済的・精神的に親に依存(利用)したいけど、老後の面倒見るのはイヤだなあと思いました。

離れて暮らしても面倒見なきゃいけないなら、同じだけど。




とにかくお金がない。ある日、いくら働いても手元に残らないことが、とても損で、無意味で、むなしいと思った。

部屋の片づけをしていたら、いっそこの部屋自体引き払ってスッキリしたくなった。

この暮らしにうんざりしてきた。おしゃれにできなかった部屋。センスが全くなかった。部屋を見回すと、自分の憂鬱な心、孤独、虚しさを見てるようで、居心地が悪い。

孤独。毎日あいさつ以外誰とも一言もしゃべらない日々。自我に閉じこもる鬱。

部屋を一歩出たら「社会、世間」。その緊張感。守られてない感じ。

均質になった虚しい時間。実家にはあった、朝の時間、昼の時間、晩御飯、その後の風呂、風呂上がりのアイス、テレビ、就寝。そんな時間の心地よい秩序・情緒が失われた日々。でもこれは一人暮らしのせいばかりでなくバイトの時間帯や、自分の年齢や精神が変わったせいもあるのかもしれない・・・。自由で気ままな生活といえばそうなんだけど・・・ ただ自堕落って感じ・・・

いつまでも帰ろうか迷ってるくらいなら、一度帰ってみて、実家生活を体験するのも良いかもしれない。




しかし引っ越しがめんどくさい。

いまさら父親とトイレを共有したりするのが気持ち悪くもある。胃が弱く下痢ばかりしている父と頻尿傾向のある私・・・ 一度流すとなかなか流れない水・・・ ダイニングのすぐそばのトイレ・・・

鍵のかかる自室はない。とても小さな団地の1室。あんまりプライバシーとか個の感覚がないそれでいて心は開かない本音で話さないというような家族・・・。

なんとなく母親に取り込まれそうな感じがして恐い。母もやっと自分の趣味に夢中になり始めたのでもうこっちに矛先は向かないかもしれないけど。管理はされるだろう。母が作った食事を食べる。それはもう管理なのだ。

もう妹も弟もいないし。それで一応自室は持てるんだけども・・・・・・ 両親と私だけってのもなんかな・・・



どうせどっちにしても変わんないけど。私の人生なんて・・・

どっちでもいいからこそ決めかねる。

それならお金が一番大事か・・・。



なんとなく、胸がふさぐ。

帰ったらもう二度と出れないかと思うとこわい。

なんだかもうこの先には、老いと死しかないと、実感させられるようで。

別に夢を追って上京してきてるわけでもないのに。

実家から数キロ離れてるだけのとこで、フリーター。不経済なだけの、無意味な一人暮らし。



結局私は、精神的に、あの家から一歩も外に出られなかったのだと思います。

精神的に家を出るっていうことは、家の外の人間関係の中に居場所をつくることです。

それができなきゃ、おとなになれない。人間になれない。

幼稚園児にもできることが、私にはできませんでした。

幼稚園の頃から、できませんでした。



はてしなくスケールの小さな世界。

夢の中でさえ。職場と家と学校しかない。




施設暮らしで作業所通いの弟と変わらない、いや、無駄がないだけ弟の人生のほうがよほどマシと思います。

私は家から出るどころか、母の胎内からすら出られなかったのかもしれません。

親の老後を見るにあたって捨てなければならないものが何も無い。あの鬼のような母の思い通りの、介護用人形に育ったのですから。

家を出るのが遅すぎたと思います。せめて18ぐらいで出れてたら。

いつも何もかも遅いんです。グズなんです。

でも同じだったかな。どうせ私だもの。いくら若くたって。



他の人たちが持っている、人生を切り開いていくための不思議な力が、私にはありませんでした。


私にとっては、普通の人並みにできないのが、普通だった。ずっと。


しかたない。





伊集院静って人は、「女は自立なんかしなくていい!」とまで言ってました。

酷いオッサンの言い草だけど。一理あるのかもしれないと思ったのは、酒井順子のエッセイを読んだから。

順子さんは20代後半で一人暮らしをはじめて、ゴキブリを一人で殺せるようになったりして自立の実感をかみめていたけど、次々結婚していく友人たちのほうがよほど現実を見据えた大人だと思ったそうな。


大人になるということは、自立することとイコールではないというか、なんというか。


私はどうせ大人としても女としても人間としても生きられないんだから、関係ない話なんだけれども。


健常者の人生は、いろいろあって、世界が広くて、深くて、豊かで、変化や向上、意義があって、たいへんおもしろい。見てるだけでも・・・。


傍観者は死人同然だってさ。





炊事。洗濯。風呂。トイレ。

母の体の8割は水の疲労でできている。

歩くたんびにたぷんたぷんと音がする。

冬の寒い朝に

関節に筋肉に脂肪に皮膚にたまった怒りが肩から湯気となり立ち昇っている。

女の子の体は上手に動かない。

ベランダのペチュニアとゼラニウムから疲労の匂いがする。

ニンジン。ダイコン。サトイモ。レンコン。

白米。

疲労の水を吸った食べ物。

疲労の羊水。疲労の母乳。疲労の経血。6月の花嫁。6月生まれの母。

女の子の体は元気に動かない。


窓のない地下の食品工場。水の匂い。黄色い蛍光灯。白い制服。白いゴム長。髪の毛はゴムでくくってコロコロで取りましょう。

風呂屋の清掃。うんこをもらす老婆。ひどくトイレを汚す男たち。

配達の仕事。やっと風と太陽の世界。でも雨でずぶぬれ。雪の暴力。男は暴力。


みんな燃えちゃえばいいんだ。揚げちゃえばいいんだ。天ぷらにすればいいじゃない。カラっと揚げればいいじゃない。


風の丘へ行こう。温かな太陽。金色の光。図書館。鐘の音。木々のざわめき。不思議な石像。私は吸います。そして吹きます。広い空。流れる雲。体が軽い。羽が生えて。これでやっと、やっと自由。風になって。光になって。



私は介護をしなければならない。

何も好きなことができず楽しくなかった人生のしめくくりに。

しめてくくってしまいましょうか。

蒸発(物理)。





暗いね。


もうのんきで明るい春は新しい春は二度とやって来ないんだな。


死んでも。


昔のインテリアのカタログ見てると思い出す。ピンクのレースカーテン。のんきで明るいと、若く新しいと、いつかここではない美しいどこかへ行けると錯覚できた、不思議な春の手触りを。

馬鹿だったね。今もだけど。こんなだからカウンセラーに、いつまでも夢見る夢子ちゃんじゃいけないねって、言われる。



変えられない現実は受け入れるしかないのです。

たとえ私の生命が生まれつきこの世のありとあらゆる善きものから切り離されているとしても。

奴隷で生贄だとしても。

受け入れるしかない。


「ふてくされてる」って怒られた(脳内の人に)


小学生のころからこうやって、「どうせ自分なんて」っていっては、怒られてたんです


本当に変われなかった


成長しない人間は生きてる意味がない



たまにはヘルシーな料理をつくったり、美術館に行ったり、自然の中に行ったり、手芸したり、散歩したり、できたらいいな。

そんなこと何の意味もなくて、疲れるだけかもしんないけど・・・。

何をしていても怒られるような気がする。


眠っていたくなる、ずっと


失われた30年を忘れて これから失う余生を忘れて


夢の中へ




ちゃんと親の介護して、奴隷としての運命を全うして、そしたら、「人に尽くすことで自我を越えられました」とか、「愛と利他心に目覚めました」とか、言えるようになるのかなあ?

なれなかったら本当に救いがないね。


もう夢から覚めて現実を生きなきゃ。


夢を失くし続けた10年だった。



健常者はさ。現実をきちんとやりながら、夢も楽しむってことが、できるんだよね。


私、ずっと人(母親)の言うとおりにするのが嫌で、反抗して、でも、自分の好きなことするのも罪悪感あるから、

何にもできず、どこへも行けず、何にもなれず、誰にも会えなく、なっちゃったのかもね。
no title
ネットやめたはいいけど


録画しといたアニメ見たり。ダウンロードしといたゲームやったり。ツタヤ・図書館通いもやめられず。休日は決してベッドから出られず、日曜に取り込んだ洗濯物を水曜にたたみ、部屋が片付けられず、掃除機もかけず、トイレ風呂掃除もせず、ポテチを毎日食い、うっかりケータイでネットサーフィンに夢中になってパケット通信費3万円を請求されて落ち込み(やっとパケットし放題契約した・・・)、雨にも負けて風にも負けて暮らしていました。

雪なんか降ったらこころがおれそうです。


もう金曜降るって・・・ 何も準備してない・・・ どうしよ・・・

どうなるんだろ・・・ 吹雪になるんだろうか・・・



クリスマスも正月も終わった冬っていうのはただ延々と冬冬冬ですね。死神の外套みたいな字。ウイルスみたいな字。

ぼっちだからクリスマスも正月も関係ないけど。

冬冬冬・・・ おててつないでるみたいだね・・・




年末はネット禁断症状が出たのか、ウツモードになり、川のせせらぎのCDやモーツァルトのレクイエムのやつをえんえんきいてました。

年齢が29歳になったから。人生について考えて。

普通の人並みの人生と。自分の理想の人生と比較して。

もう終わってしまったんだと。

この10年、ぐだぐだいつまでもモラトリアム気分で逃避しているうちに、「まだ何者でもない者」から、「もう何者にもなれない者」になってしまった巨大でリアルにしてバーチャルな喪失感を持て余しています。

若いころ、子供のころからずっと、将来のことばかり考えて、つらい今から現実逃避してきましたから・・・。将来のために何か行動するわけでもなく、ただ夢想して・・・



ふつうの人が持っている「20代の思い出」が、何も無いことが、すごくむなしいなと、悲しいなと、さびしいなと、思いました。

いろんな人との出会いや別れ、社会人としての経験、成長、等々。

人生らしい人生。

1枚の写真もない。だれもいない、何もない。


「私は一人前の自立した年齢相応の大人の女性だ」と言えるような持ち物・・・仕事やパートナーや貯金や人生経験や人間関係や自分の進む道これまで来た道が人生設計がスキルや内面が無いことが、とてもヤバイと思いました。

自分は自分と言えるような自分、(趣味とか)がないことが、悲しいと思いました。

こうやって自分自分いっていると、「社会に他人に奉仕しなさい貢献しなさい」って説教されるのが、つらいと思いました。


もう遅いんです。


後悔と自己嫌悪は山ほどあるけど、しかたがなかったと思います。私はみんなが持ってる魔法の力がないから。


ふつうの人にだって魔法の力なんかありません。努力してるんですよ。あなたとちがって。何事も経験なんですよ。慣れなんですよ。学びなんですよ。成長なんですよ。挑戦なんですよ。忍耐なんですよ。


また脳内の人に説教されちゃった。


おかしいよね。単純なバイトすら満足にできないで、人並みの人生が欲しかったなんて。理想高いにもほどがある。まず目の前の現実をちゃんとしなきゃいけないのに・・・

本当にたくさんの失敗を繰り返してきた。そしてそこから何も学べず成長できなかった。

逃げてきたから。

内面の醜さがにじみ出た顔をした、29歳になってしまった。




このごろは思考停止というか感情鈍磨というか現実逃避というか、そんな感じで、日々をやり過ごしています。



年を取ると、失敗するたびに、「もういい年なのに」っていわれるから(脳内の人に)、つらいね。






外に出て、街を歩いてると、幸せそな普通の人たちがいっぱいいて、くるしい。
no title
雪が降りました。

朝。

予報は晴れでした。

気温は5度でした。


信じらんない


しかし去年の過ちを繰り返さず冷静に乗り越えねばならぬと思います

とはいったものの何の対策もない

あんまり積もるようなら、歩きでそりでひくかリュックで背負うか考えたけど、おもすぎる かといってバイクでも無茶だ
金曜はどのくらい降るか
あけましておめでとうつでございます。

もう1月終わる・・・

LANケーブルのツメ折っちゃって ツメがどこいったが探してポートをシャーペンでつついてたらポートもこわしちゃって

ネット依存やめる良い機会と思ってネット断ちしてたんだけど



コメントの返事もせずご心配おかけして申し訳ないです・・・ ごめんなさい。



ネットカフェから更新しています

怖くてなかなかこれなかった・・・


住んでる人いるとか聞くし ダーツがあるとか(その矢どこに刺す気) ビリヤードがあるとか(その棒どこに刺す気)


とっても静かなところですね うっかり「死にたい!」とか叫べない

とってもやさしそうなお姉さん(たぶんだいぶ年下)が受付にいましたよ



とっても長い文章と漫画をSDカードに入れてもってきたんだけど ここSDカード使えないんだって・・・ USBを持ってくりゃあよかったな まさか私の2007年製のノーパソについてるものがネカフェのパソコンにないとは思わなんだよ・・・

なんか最近何もかも間が悪いっす スーパーに行くと職場の人に出くわします


また出直します・・・


モブログ設定したから今後はケータイから更新できると思います



今年はネット依存なしでがんばれるかなあ 何のためのがんばりなのかもわからんが・・・

新しいパソコン買えないこともないけど またネット依存で1年終わるかと思うと葛藤 絶対そうなる

すっごい不便なんだけどね・・・