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嘆記
毒破棄場
母親「アタシがお腹痛めて産んだ子です!」父親「俺が孕まして産ましてやった子だ!」祖父母他人お国「我々が望んだから我々のために生まれてきた子ですよ!」産婆「アタシが取り上げた子ですよ!」

赤ん坊「オギャア」


イニシエーション

実際赤ん坊は自分だけの力では産まれてこられない 生きられない 成長できない


赤ん坊の産まれる力という、極上のごちそうの味のとりこになった親は、子どもを6人も7人も作ってしまう いつまでも享楽に酔いしれていようとする

一方、「産まれる力」は現実的に考えてあきらめた親は、今度は「子どもの育つ力」「生きる力」まで食べようとする

「アタシが育ててやってる」「オレが養ってやってる」「親が生かしてやってんだ」と


子どもを「アタシが産んだ」と思うことのメリットとして、自尊心が満たされる、アタシって有能なんじゃ~ん!?アタシってスゴイ!!という気分に浸れることがある

さらに子どもに「あんたはアタシが産んだんだ!」という思想を押し付けることにより、子どもをコントロールしやすくなる

子どもが自力を身につけ始める頃になってもまだそれをやってる親

過干渉の親の子は無気力、無関心、無意欲になる これは当然である 子どもである自分は、自分で生きているのではない、親に生かされているのだ。自分は親の操縦するロボットだ。これでは意欲も興味も関心も積極性も個性も、何も持ちようが無い。

自分で「わが子」をそこまで追い詰めておいて、親は、「意欲を持て!なんで他の子と同じようにできないの!」と言う

「アタシのために主体的に行動しろ」と、無茶苦茶なことを言う


脳が子供の肉の味に浸されている親 重度のヤク中より酷い 心もなければ頭も無い



戸塚ヨットスクールの校長のような一般的な社会人のやることも同じである

彼らが「自立!意欲!主体性!生きる力!根性!」というのは、「もっとオレらに依存しろ!」と言っているのだ「依存してオレラの都合の良いようにコントロールされろ!!ほーらオレラはこわいだろ!!えらいだろ!!こわくてえらい人の言うこと聞け!!」と言っているのだ

強制される主体性など、主体性ではない


「体罰の是非」とか語ってる連中は 子供の肉の味のとりこになってるだけの餓えた鬼だ

わが子を食らうサトゥルヌス



お国や宗教よっては、「親が産みました、しかし子供にだって自分の力と意志で生まれたと主張する権利があります」というところもあるかもしれない あるいは「子供は神様が授けてくれるもの、親のものでも子のものでもありませんよ」というところもあるかもしれない

しかしニホンというのは「親の総取り国家」だ

「くやしかったらお前も親になってみろ」と

親に貸した自分の肉を自分らの子から取り立てようというのが、ニホンで結婚しようとする一般的な者たちの考えなのだろう

ニホンコクが結婚を推奨し若者の自殺を重く受け止めるのは「親の総取り国家」の維持のためである

いつか親になれるといって、搾取されるだけの子ども時代を黙って耐えさせたい 若者の未婚と自殺は共に国家への反逆だ(恋愛離れとセックス離れと消費離れも)

男は女から搾取しろ 女は子どもから搾取しろ 子どもも同じように女と子どもから搾取しろ それでいいのだ


たとえ結婚したい若者でもできないような経済状況を強いておいて何を言ってんのあのアホ面のオッサンらは??



私はあのスピリチュアル界で有名になったホ・オポノポノをこう考えている

ありがとう(お母様産んでくださって)

ごめんなさい(自分の力で産まれたなどという驕った考えを持ったことをお許しください)

愛しています(あなたに服従します)


戸塚ヨットスクールじゃねえか

主婦どもに人気が出るわけだ



思うに カウンセラーや精神科医といった心の専門家どもも同じく戸塚ヨットスクールである

「自分を磨いてツルツルに丸くしてぴかぴか泥団子みたいにしなさい、そうすれば、あなたと世界との間の摩擦がなくなりますよ」と

「お母さんが産んでやったということも、父親が孕ましてやったということも、そのまま受け入れなさい、そのとおりなのだから、だからあなたは彼らに服従しなさい、それが大人になるということです、自分の力で生きてきたなどという驕った考えの中二病は卒業しなさいね」と


スピリチュアルのなかでも、非二元やさとり系の人は、「お母さんが産んでやったということも、父親が孕ましてやったということも、あなたが自力で生まれたと思うことも、すべて寝言みたいなもんだから、聞き流しなさい、寝言に返事せんでよろしい」と、こんな感じのことを言ってると思う 私はこの考えが最も受け入れやすいと感じている


だけど生きていくために、親に、「わたしはお母さんに生かされてるんじゃない!!自分の意志で生きてるんだよ!!」と言うことも時には必要かもしれない

しかしそれはニホンジンにとって国家への反逆である

「お母さんが生んでくれたけど私は死にたい」というのは、ほんのささやかな反抗だ たとえ中二といわれようと、「お母さんが勉強しなさいと言ってるからアタシ勉強大好き!」とは、言えないのだ それが大人か?幼稚園児より退行してるでしょうが!大人なんて幼稚園児以下だ!!

ささやかな反抗のためにほんとうに死ぬ人が、いるだろうか

我々は死ねない 名前をつけられてしまった時点で、負けなのだ


非二元さとり系の人が、「何も気にしないでオギャアと泣いてた無邪気な子どもに戻ればいいんですよ~」と言ってることもある

それが実践できてると豪語するのは京大出身者 どうみても生まれ付きおとぅむの具合がよろしすぎる しかも学費が出せないと言う親のために親孝行してきたという人格者 そしてどうみてもおとぅむのぐあいがよろしくない取り巻きどもよ

結局ここでも「教祖と信者」「親と子」をやっている

あなたの言うわくわくやらポジティブやら それは、赤ん坊の肉の晩餐会のことですか


原住民族の成人の儀式ってあるよな あれも戸塚ヨットスクールか 他人の都合を自分の主体性に摩り替えさせられなければ生かしてもらえないという「社会」

女性器切除もそうだ 「女が産むんじゃない!男が孕ますんだぞ!」ということにしないとまずいという「社会」のための「通過儀礼」


も う 全  員 死 ね



あきらめずに弱者の人権を守るために働いてる人はほんと偉いよ・・・・・・ 少しずつでもマシな世界になるといいよね・・・ そんで・・・人類が穏やかに滅亡できたらいいなあ・・・・・・
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