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嘆記
毒破棄場
https://blogs.yahoo.co.jp/yoshidaka52/18400612.html

では、なぜ子どもによって言語世界に参入することを受け入れる場合と受け入れない場合があるのでしょうか。さきほど、言語世界に参入するには子どもは自分自身の特異的な存在を捨てて言語の一般的な世界の一員となることを同意する必要があると述べました。このとき、やはり何かを捨てるのですから、その見返りとして何かが必要です。その見返りは愛されることによって得られます。しかし、単に愛といっても様々な形態があります。ここで必要な愛は、相手の存在をその特異性において愛することです。愛する人を亡くしたとき、なくなったものは他の何とも替えられないものであったことがわかります。それはその人をその人の存在そのものにおいて愛しているからであり、その人がお金持ちだとか、何かをできるからとかいうことで愛しているのではありません。子どもが言語世界に参入することを同意するには、このような愛が必要なのです。それによって、子どもは自分の特異性を保証したうえで、共通の、一般的な言語世界に入ることができるのです。
自閉症を持った親でも、子どもに対する愛情が欠けているとは思えない親もいます。たとえば、兄弟姉妹の中で他の子たちは皆ふつうに生活できるようになるのに、一人だけ自閉症になるという場合です。これは、結局のところ、親の愛についての判断は子ども側でなされるからです。子どもにとって、何らかの理由で十分な愛が認められない場合には言語への乗り換えは困難になるのです。そしてその判断は各子どもに固有のものです。ここにさっき述べた「存在の計り知れない決定」が認められるのです。




母親は女児より男児を愛するのに、なぜ自閉症は男児に多いのか・・・。

ドナ・ウィリアムズの母親も相当な毒親だ。自閉症の原因に「親の愛情不足」は否定できない。

生物学的な原因論が採用されるもう一つの理由は、子どもが自閉症となることによって両親がその責を問われることを避けるという思惑からです。親の間違った育て方によって子どもが自閉症になったと言われれば、両親は子どもにたいして過大な罪責観を負うことになるでしょう。しかしそこに生物学的な理由が置かれればもはや誰にも責任はなくなり、親の養育法にたいする非難もなくなります。しかし罪責感の問題は、実際はそれほど単純なものではありません。なぜなら、遺伝子などの生物学的な原因が認められたとしても、親は子どもにたいして、たとえば不利な遺伝子的条件を与えたとなどいうことで罪責感をいだくようになると考えられるからです。




子をまともに育てられない女に「産むな」と言っても無駄である 女と言う名の寄生虫に感染しているのだから

女がファルスを持つのにもっとも一般的な方法は子供を持つことだ。子供がファルスとなる。子供を持たない、持てない女性は、子供じゃないファルスを持とうとする。それはとても困難なことである。出産も苦痛である。女がファルスを持つことはとても困難で苦痛なことなのだ。



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