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嘆記
毒破棄場
障害者福祉の理念はすばらしい あってしかるべきだ

しかし障害児のきょうだいは障害児福祉という新興宗教の犠牲になっていませんか わたしだけですか

母親が「障害者福祉」「障害児のママ」という「絶対善」「絶対正義」の立場に立ってしまい、逆らえなくなること。

きょうだいが学校をはじめとした差別主義的な社会や世間との板ばさみにされてしまうこと。社会や世間を悪く言っておいてご近所さんにペコペコ、きょうだいには学校に馴染める明るい良い子になるように、と、矛盾ばかりのメッセージにさらされること

「障害児が生まれたのはママのせいじゃない」「障害児ちゃんは天使」「ではだれがわるいのか?」「そうだ長女が悪い!」と、母親にとって一番たたきやすい存在である「長女」が虐待のターゲットにされること。正義や善は悪の存在なしでは成り立たないこと。

「長女」が「大変なママを支えてあげなきゃいけない役割」を押し付けられること。

「障害児福祉」という子どもにとって得体のしれない不気味で魅力のない楽しくない悪臭のするコミュニティにきょうだいを引っ張り込もうとすること。きれいなものをきれいだと、きたないものをきたないと思うことに罪悪感を抱かせること。障害児の顔や排泄物や言動に生理的嫌悪感や不快感や恐怖心を抱いてしまう自分に罪悪感を抱いてしまうこと(私だけ?)

母親が常に「障害児福祉活動」に入り浸って、いつも知らない人たちといることで、きょうだいに分離不安(寂しい思い)を生じさせること。

「性」に対するタブー意識を植え付けられること。障害児タンは決して性的な存在ではない。お前も性的な存在であってはならない。

「妊娠出産」に対する禁忌を植えつけられること。

いくら「ママのせいじゃない」「ママはわるくない」と言われても、やっぱり「子どものせいで私が悪い母だと思われてしまう」という見栄があるので、きょうだいにはより「世間様に対して恥ずかしくない子であること」を求めてしまうこと(これは私の母が毒母だっただけかもしれないが)。

上記の虐待行為のためにきょうだいの発達に遅れが生じ、ますます親の見栄や恥の意識のための懲罰を受けてしまうこと(これも私の母が毒母だっただけか)。

「子どもらしい子ども時代」は、二度とは帰ってこないこと。「子どもらしい子ども時代」を過ごせなかった子どもは、大人になっても生きづらさを抱え生涯苦しむこと。

他の人はどうか知らない。結婚出産して幸せになる人がほとんどなんだろう。ただ私は一生抱えていく。
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